daimyosaibai’s diary

自然栽培で独立を目指す法人在住農家の日記

こうして『不登校』になりました③

それから毎日、寝る前と朝起きてから大泣きの日々が始まりました。

 

私はというと、田植え真っ盛りで1ヶ月くらい連続出勤中。少なくとも田植えが終わるまでは休めません。

 

夜泣き止むまで耐えて、朝どうにか着替えさせて半ば無理やり車に乗せて学校まで連れて行きました。

 

昇降口まで泣く娘を抱き抱えて連れて行き、先生に引き剥がしてもらっていました。

 

先生の話によると、学校にいる間は普通に過ごせているそうです。

 

5/24(土)嫌だと行っていた運動会も無事行くことができました。

 

ああ、これで乗り越えたなと思い安心していました。

 

 

しかし、本番はこれからでした・・•

 

 

運動会明けの5/26(月)

この日は振替休日のため、朝から学童の予定です。

 

学童なら楽勝っしょと勘繰っていたのですが、

まさかの『行きたくない』。

 

朝から大泣きでどうしようもなく、今日だけという約束でじーじばーばに見てもらうことに。

 

そして翌週の月曜日までは泣きながら昇降口パターンで何とか行けたのですが、次の日の火曜日に完全崩壊。

 

無理やりでも車に乗せられないくらい暴れ泣き叫び、この日を境に学校を1日も行けなくなりました。

 

この時親がとった行動と言えば、

 

①行けない理由を聞きまくる

②やりたくないこともやらなきゃいけないと叱ってみる

③明日は行ってみようと無理矢理約束する

④約束破ったことを責める

 

など今思えば散々なものです。

 

多分初期対応としては全て間違っていました。

 

そして、じーじばーばに頼りまた子どもを甘やかすのもいけないと思い、基本的には1人で家で待っててもらうことにしました。

 

…まだ小2の女の子です。

 

そしてこのお留守番には様々な弊害が含まれていました。